3. 卒業論文と遺伝研究以前の研究業績

図 2

図 2. 卒業論文テーマのまとめ

會田先生は大学での卒業論文は二人の教授の指導を受けられた。箕作佳吉教授から与えられた研究テーマは “毛顎類(ヤムシ類)の卵発生” であった。しかし、当時日本の近海に見られるこの類の分類は、まだ誰も研究したヒトがいなかったので、飯島魁教授の奨めで、三崎臨海実験所付近で採集できるも毛顎類の分類も併せて研究された。卒業後も先生は専攻生として 2 年間研究科に籍を置き、早稲田大学の助手を勤めながら研究を続けられた。そして毛顎類の分類は 1897(明治 30 年)2 月から 6 月にかけて発行の “動物学雑誌” 第 9 巻に連載された。毛顎類は動物の第 11 門で、矢虫類 1 科をふくむ小さな動物群である。先生はまずこの類の一般的な特徴を記述し,それまでに世界の海で知られていた 26 種について分類の要点を記された。このうち、三崎に来るものは 12 種で、そのうちの 4 種が新種であった。他方、毛顎類の卵の発生は、同年 (1897) 8 月 15 日に発行の “動物学雑誌” 9 巻に発表された。先生の研究によると、生殖上皮の細胞には間接分裂するものと、直接分裂をするものとの 2 種類があって、前者は卵になり、後者は卵の肥大に必要な養分になる。これら二つの論文は、ともに邦文で書かれ、その主要部分は同じ (1897) に発行の “日本動物学彙報” に英文で発表された。先生の卒業論文の学術雑誌の概要は以下の図 3 と写真 7 に示した。

図 3

図 3. 先生の卒業論文発表の概要

写真 6

写真 6. 三崎の臨海実験所にて(1891 頃)

写真 7. 日本動物学彙報と動物学雑誌に発表した、先生の卒業論文の一部

會田先生は箕作、飯島料教授の指導を受けられたが、秀才そのものの箕作先生より豪傑肌の飯島先生と親しかったようだ。しかし飯島先生は會田先生の卒業後まもなく亡くなられ、箕作先生からは大分冷遇されたようだと噂になった。卒業後 2 年して熊本の第五高等学校の教授として赴任することになる。

/medaka